2000..1.31


〜つく
しんパパのひろば〜          BGM ON
トライメライ」(夢)      
シューマンの子供の情景第7番

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 “継続は力なり”

  始めのころは筆圧も弱く、プリントはやらされているという感じでした。 でも“継続は力なり”で、毎日の学習を積み重ねていくうちに、机に向かっていられる時間が少しずつ長くなりました。そして、スモールステップでやる、繰り返しやることが本人にとってとてもプラスになり、今では「何の勉強するの?」と尋ねると「くもん!」と答えが返ってきます。
現在の課題は、集中力が足りなく、できる問題も時間がかかり過ぎることです。これも公文を続けていくことで少しずつ解決してくれればと願っています。
まだまだ長い道のりをゆっくりでも歩き続けていこうと思っています。

                           (つくしんぼひろばA小2みーちゃんの母)

             

“【14才の挑戦】の体験から”

昨年秋に、学校の企画「14才の挑戦」として、かずは親類の石油店を1週間手伝うという体験をしました。小さな灯油のタンクローリーの助手席に乗って、給油口までホースをひっぱったり、片付けたりの手伝いをしていたそうです。おじさんの指示にしたがって上手に手伝っていたと、後から話を聞いて、かずもがんばればいろんな事が出来るんだなぁ・・・と感心しました。貴重な体験をした1週間でした。 

                          (つくしんぼひろばB中2かずくんのお母さん)

             

 “我が家の天才マン”

自閉症である七歳の長男は、二歳頃主人の母から天才マン、秀才マンという名をいただいた。言葉が遅く、行動も変わっていて、ただただ彼に振り回されていた頃である。しかし、誰も教えないのにビデオの操作をしたり、ひらがなを覚えたりしたものだから母親を励ます意味もありそのあだ名を付けてくれたのだろう。本人も、言葉はほとんどでないのにこの言葉はお気に入りで「天才マン、秀才マン」とよく言っていた。
しかし、成長するにつれ、世に言う不適切な行動は減るどころかどんどん増え、家の中ではスッポンポン、手の甲を噛む自傷行為、家中の障子,襖を破りところかまわず落書きをする、コミュニケーションはとりにくい、五歳頃までは外出時手を離したことがないほどの多動など、一瞬たりとも目が離せない状態が続いた。
今は、自閉症という特技をうまく使ってやろうと言うぐらい気楽に構えることができるようになったが、この子はいったいどうなるのだろうと落ち込んだこともあった。だが、家族が、この子を認めてくれているという環境の中で育てることができたのは、母親にとって一番の救いであり、育児の力になったと思う。
長男の場合、無理かなと思うところから始まるので、漢字が書けたとき、足し算をしたとき、自転車に乗ったとき大変な喜びを与えてくれた。
また、時期ごとに素晴らしい出会いがたくさんあった。その中でも公文との出会いは、「学習する力を持っている」という自信を与えてくれた。「必ず座れるようになります。」という先生の言葉が信じがたい状態での入会。一生線引きで終わるのかしらと思っていた頃。今でも大きな声を出したりで迷惑をかけながらではあるが、先生のご指導に親子で励まされ一歩ずつ着実に前進させていただいている。なによりも長男の成長をしっかりと見つめ、さらなる成長の可能性を信じてくださっていることがうれしい。これからも、予測のつかない子育てを家族で楽しみながら、天才マンの成長を見守っていこうと思っている。

                                    ( 天才マンの母 )

             

 天才マン君のお正月休みのプリントの余白に、お母さまが書きとめられていたメモを ご紹介します。(みどり先生)

絵を描きたがり、1日で1冊使った日もありました。書く(描く)ことが苦手だったのにと嬉しく思いました。内容は相変わらずウルトラマンですが。丸や三角・四角を自由に使えるようになるにはまだまだですが、書くという作業が好きになれた事で手先の使い方も少しずつ上手になっているような気がします。

・今日驚いたのは、今まで学校の宿題しかひき算をしたことがなかったのですが、必ずブロックを使わないと出来なかったのです。しかし、今日のプリントはひく1とはいえブロックを使わず一人でサッとやってしまったのです。意味を理解するとか日常で使えるとかには程遠いですが、パターンでも何でも出来るということは大事にしたいと思います。今日は公文マジックに触れた気がします。

             

“HEROへの思い” 

 我が家のヒーローは自閉傾向による言語障害をもっていますが、普通の幼稚園〜小学校の特殊学級〜中学校の特殊学級とがんばってきました。
言葉がないというだけで学校は特別な扱い方をします。だからいつも戦いがつづきました。担任、市教委との話し合いでは間接的でやわらかい言い方で親をせめてきます。特に中学校に関しては、将来のことを考えると1年でも早く養護学校に進んだ方がいいのではないかという言い方をされました。主人も私も普通の子供たちの刺激がほしく、何とか私達の気持ちをわかってもらおうと最後の最後まで市や県の教育委員会との話し合いが約2ヶ月にわたってつづきました・・・かんたんなものでなく言葉では言い表せません。私達家族の意志は固く結ばれ、何といわれても普通の中学校へ通学させたいという考えで押してきました。その気持ちが子供にも伝わっていたのか、子供もそれなりに成長できたように思います。私は心と心が通じあえば、しゃべれなくても意志がたしかめられるということがこの子に教えられたような気がします。
世の中不景気で、障害者の就職はとくに雇用が難しく、養護学校へいって活動していて
もなかなかという話を聞きました。我が家のヒーローは中学校卒業後、養護学校に通学させようと考えておりましたが、長男の就職にぶつかり、どうしても弟を養護学校にいかせるのを待ってくれと私達にいってきました。このことに関しては長男の意見を無視することはできません。なぜなら、将来長男の力を借りなければならない時期があるからです。
障害をもっている子供の家族はみんなでその子のことを考えながら生活していくことが先決ですが、まわりの家族のことも頭におきながら生きていかなければならないという難しさがあります。
私は主人と長男が相談相手になり、とくに長男にけっこう励まされました。希望をもってヒーローの将来を家族で考えながら過ごしたいと思っています。
今は自宅にいますが、何才で高卒という気持ちをすて、人生設計をヒーローなりに組み立ててやろうと考えております。

                                          ( HERO’s mother )

             

  空いています)  

             

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